孔子と易|「怪力乱神を語らず」の孔子は、なぜ易を学んだのか?

九星気学・易

易を学んでいて、私がとても興味を持った人物の一人が孔子です。

孔子といえば、『論語』で知られ、人としてどう生きるか、どう振る舞うかを説いた中国思想を代表する人物です。

その孔子が、易と深い関わりを持つ人物として伝えられている。

私はこのことを知った時、易に対する見方がさらに変わりました。

「易は、未来を当てるためだけのものではないのではないか」

そう感じる大きなきっかけの一つになったからです。

伏羲・文王・孔子へと受け継がれた易

易については、古くからさまざまな伝承があります。

伝統的には、伏羲が八卦を示し、文王が六十四卦を整え、さらに孔子が易に思想的・哲学的な意味を加えたと伝えられてきました。

現代の研究では、孔子自身が後世「十翼」と呼ばれる注釈をすべて書いたとまでは考えられていません。

ただ、易が後の儒家によって、単なる占筮だけではなく、人間の生き方・道徳・自己修養を考える書へと深められていったことは、とても重要です。

孔子は「怪力乱神を語らず」といわれる

『論語』には、孔子について有名な言葉があります。

「子、怪力乱神を語らず」

簡単にいえば、孔子は怪異な話、不思議な力、世を乱す話、神秘的なことばかりを積極的に語る人物ではなかった、ということです。

もちろん、これを「孔子は霊的なものを一切否定した」とまで言う必要はありません。

ただ、少なくとも孔子の教えの中心にあったのは、怪しい現象を追いかけることではなく、人はどう生きるべきかという問題だったと考えられます。

その孔子が、なぜ易を学んだのか

ここが、私にとって非常に興味深いところです。

怪力乱神を語らなかったとされる孔子が、易と深く関わっている。

もし易が、ただ未来を当てるだけの技術だったとしたら、少し不思議に感じます。

『論語』には、

「五十にして易を学べば、大過なかるべし」

という趣旨の言葉も伝わっています。

私は、この「大きな過ちをしなくなる」というところに、とても惹かれます。

易は「当てるため」だけの学びではない

人生では、いつも正解が分かるわけではありません。

進むべきか。

待つべきか。

自分を出すべきか。

引くべきか。

人とどう関わるか。

こうした判断の積み重ねが、その人の人生をつくっていきます。

易には、「今どうなっているか」を見て、そこからどう振る舞うかを考える視点があります。

だから私は、易を単純な「当たる・当たらない」の世界だけでは捉えていません。

私が易に感じている魅力

私は、孔子や儒教の専門家ではありません。

『論語』を専門的に研究してきたわけでもありません。

私は、気学と易を学び、実際に自分の人生の中で使ってきた立場です。

その中で、孔子と易の関係を知り、強く感じるようになったことがあります。

易は、未来を知るためだけではなく、自分自身を整え、人としてどう生きるかを考えるための学びでもある。

私は、そこに易の大きな魅力を感じています。

易は「人としてどう生きるか」を考える学びでもある

易には、吉凶を見るという側面があります。

しかし、それだけではありません。

物事には、進む時があります。

待つ時があります。

変えるべき時もあれば、耐えるべき時もあります。

その時々の状況を見ながら、自分はどう振る舞うべきなのか。

易には、そうした判断を考えるための知恵があります。

だからこそ私は、易を「未来を当てるための占い」だけで終わらせるのは、少しもったいないと感じています。

大切なのは「何が起きるか」より「どう生きるか」

未来を完全に知ることはできません。

でも、今の自分がどう考え、どう行動するかは選ぶことができます。

易を学んでいると、

「この先どうなるのか」

だけではなく、

「今の自分は、どうあるべきなのか」

を考えるようになります。

私は、ここに易の大きな価値があると思っています。

「大きな過ちをしない」という言葉が心に残る

孔子に伝わる「五十にして易を学べば、大過なかるべし」という言葉。

私は、この中の「大きな過ちをしない」というところに、とても惹かれます。

易を学べば、何でもうまくいく。

失敗しなくなる。

そういう意味ではないと思います。

むしろ、自分の状況を見直す。

自分の欲や感情だけで動いていないかを考える。

進むべき時なのか、少し待つべき時なのかを考える。

そうやって自分を省みることで、大きな過ちを減らしていく。

私は、このように受け取っています。

易は、自分を律するための学びにもなる

人は、自分の都合の良いように物事を考えたくなるものです。

自分は正しい。

相手が悪い。

今すぐ動きたい。

どうしても手に入れたい。

そんな時に、一度立ち止まって考える。

自分の感情だけではなく、今の状況全体を見てみる。

易は、そのための一つの材料になります。

だから私は、易には人間形成や自己修養につながる面があると感じています。

「当たった・外れた」だけでは、易の魅力は分からない

易というと、どうしても「当たるのですか?」という話になりがちです。

もちろん、占筮として易を使う歴史もあります。

でも、それだけで易を見てしまうと、長い歴史の中で育まれてきた思想の部分が見えにくくなります。

変化を読む。

自分の立場を知る。

行き過ぎを戒める。

人との関わり方を考える。

易には、人としてどう生きるかを考えるための言葉が数多くあります。

孔子と易の関係に、私が惹かれる理由

私は、孔子研究の専門家ではありません。

でも、易を学び実践する中で、孔子と易の関係を知ったことは、とても大きな意味がありました。

『論語』で人の生き方を説いた孔子。

怪力乱神を語らずとされた孔子。

その孔子が、易を学ぶことと「大きな過ちをしないこと」を結びつける言葉を残している。

このことを知ると、易を単なる占いとしてだけ見ることが、私には難しくなりました。

私にとって易は、人生を考えるための学び

私は、人生の大切な場面で易を立てることがあります。

でも、それは「未来を当ててほしい」という気持ちだけではありません。

今、自分はどういう状態なのか。

自分でも気づいていない思いはないか。

今起きていることを、違う角度から見たらどうなるのか。

そして、これから自分はどう生きるのか。

易に人生を決めてもらうのではなく、易を通して自分自身を見直す。

私は、そんな使い方を大切にしています。

易を学ぶと「自分で考える」ようになる

易は、答えを丸暗記する学問ではありません。

なぜこの卦なのか。

今の状況に、どんな意味があるのか。

自分なら、ここからどう動くのか。

そうやって考えていくことで、少しずつ物事を見る視点が増えていきます。

人から答えを教えてもらうだけではなく、自分で考えられるようになる。

これも、私が易を学ぶ大きな意味だと感じています。

まとめ|孔子と易を知ると、易の見え方が変わる

伝統的には、孔子は易の思想的な発展に大きく関わった人物として伝えられてきました。

現代の研究では、孔子自身が易の注釈をすべて書いたとは考えられていません。

それでも、易が後世の儒家によって、道徳や自己修養、人としてどう生きるかを考える古典へと深められていったことは、とても重要だと思います。

易は、未来を当てるためだけのものではない。

自分を省みる。

過ちを減らす。

変化を受け入れる。

人としてどう生きるかを考える。

私は、そんなところに易の大きな価値を感じています。

「怪力乱神を語らず」とされた孔子が、易と深く関わったという話は、易の奥深さに興味を持つ、とても良い入口ではないでしょうか。

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